2010年10月1日金曜日

欲求の充足を第一に。

よくわからない。
みんな私に何を求めているの?
前の私の方が良かった?

私なら、前進できると?
前進できない、なんて言ってるわけじゃない。
けれど今までだって、前進なんてした覚えはない。ただ我武者羅に走っただけだ。あんなのただの暴走でしかない。
自分の欲求に耳を傾けずに、ただ前に前にと焦って、走っていただけだ。あんなの前進だなんて言わない。

自分の欲求が、やりたい方向がわかれば進めると?
我武者羅に走るということは、暴走なのだ。暴走と前進は異なる。
私は歩き方を知らないよ。暴走ならできるけど、かじはきかない。

易い欲求をかなえている生活は、逃げだと?
自分が疲れているのか元気なのか、わからなかった。最近はわかる。疲れている→休もう、元気→活動しよう、って関係付けているところだ。

日々の細かな欲求を充足させてやれば、エネルギーも増していく。それを待ってから、目標とか考えて、前進していくのでは、いけないのか?
無理をすると、全てが嫌になってしまう。絶望が目の前に立ちはだかる。
更に無理をすると、死にたくなる。こんなことを頑張るくらいなら、死んだ方がましだと思う。
そっちの方向に行くのはもう嫌なんだ。
私が、私自身の幸福を願い、生きていたいと思えるようになりたいんだ。
――また絶望するのが怖い、というのもあるけど。

心に負荷がかからないよう気を払いながら生活している私は、臆病者にしか見えないだろうか。
それくらい頑張れる、と言われるだろうか。けどそう言ってしまったら、世の中の人は全て一定の水準の努力ができるはずだ、という理論になってしまう。けど実際はそうではないだろう。
頑張る量とか、頑張り方とか、自分で決めていいはずだ。
私は、まだ頑張れる、別にうつ病ってわけじゃない。けれどエネルギーの出方が一定でないから、エネルギーが大きい時を見逃さずに頑張り、エネルギーの小さい時は休ませてほしいんだ。
それを環境が許さないのなら、私も妥協しなければならないけど
それを他人がどーのこーの言う権利はない!

日々の細かな自身の欲求に気を配れなかった。お菓子を食べるのとか、ちょっと横になるとか、早めに寝るとか、飲み会に行かないでおくとか、そんな些細なことを、面倒くさがって不変的なルールを決めてしまって、その時の気分や体調を無視してしまった。気分や体調には誰だってむらがあるのに・・・無視していた。
まだ慣れていないけど、きちんと気分や体調に気づいて、それを元に行動を決めたいんだ。

じゃあ自分が元気なときは何をやろう、将来設計はどうしよう、どういう人物になりたいだろう、ってことは、欲求の充足が慣れてからでいいと思うんだ。
欲求の充足ができてこそ、エネルギーがある程度満たされて、絶望や死を考えずに済むと思うし。

PS,私にしてはまとまった文章で書けました☆⌒c(*゚ー゚*)

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