2010年10月16日土曜日

飲みながら真面目なことを。

ぐだぐだ言うことって、必要なときと必要でないときがあるよね。
ぐだぐだ言うのと行動とが、バランス良くなきゃね。

だから私がぐだぐだ言ってるのは無意味なんだよ。
ぐだぐだ言いたいだけで、結論を探してないもん。

けど、ぐだぐだ言うのも必要だぁ、って言う人もいるな。

最近お絵かきっていうか落書き(?)が気に入ってるけど、母の筆ペン使ってんだよね。なくなっちゃうよね。今度買いにいかなきゃなぁ・・・

生理のときはどっちに分類されるんだろ。
けど、行動しようと思っても、できないからなぁ。
ぐだぐだして、ぐだぐだしながら喋ることが結構本音で、普段自分でも気づいてない本音だったりして、それに気づけるって点では良いかなぁ。
生理のときに小説を読んだりすると、ああもうホントどつぼにはまったりするんだよ。何かの拍子に自分が見ないようにしていた自分の蓋を取ってしまうらしい。

・・・私の言い方って回りくどいらしい。医者に言われた、遠まわしに。
けど、それは、物事を正確に表現しようとするゆえなんだよ。

酔っ払いのたわむれごととでも思って。

小説を読んだら出てくるおどろおどろしい本音が私は見たくてさ、小説を読んだりするんだよ。
いろんなジャンルを読むのは、自分が隠したいと思っている本音が、どこに隠れているかわからないから。

隠したいから隠すなんて、そんなずるいこと許すつもりないんだ。

どんなに吐き気がしても、内臓をかき混ぜられるようでも、死にたくなっても。

誤魔化してる、って思ったらもう、嫌なんだよ。
私にはまだまだ一般的な倫理観はわからないけど・・・
それは私の正義に反するんだ。

「これからの正義を考える」だっけ?いま読んでる本のタイトル。
私のイメージする『一般的な倫理観』とかなり近い。つまり理性と感情を天秤にかけながら、誰を救い誰を救わないか選択することだろうと思う。

けど・・・違うんだろうな。
周りが唱える倫理観とやらは、もっと庶民的で、道徳心に根付いているらしい。
その道徳心と、社会性――何が公益であるか――は深く繋がっていて、それが1対1の問題のような場合には同情――相手の感情を客観的視点から推測し、己の経験と共鳴させること――が関わってくるのだろう。

少し、同情について考えてみようかな。
今まで必ずしも悪い意味として捉えていたけれど、この単語自体に悪いニュアンスは含まれていないのだから、正しい同情もあるはずだ。

・・・それを共感というのか?
今のところわからないけど。

とりあえず同情について、ひいては共感について。
私はそれがなんなのかわかってないし、他の人が何気なく行うほどには、できていない気がする。

自分が相手の立場だったら・・・を考えるのはすごく気持ち悪いけど、ノートに書くなどして作業してみよっかな・・・。

体調が良いときに、うん。

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